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親の無責任さが生んだ子供の「自死」というべきか

 こんばんは、TRエンタテインメントです。

 今日は私のスマートフォンの通知に届いたヤフーニュースの記事を読んで感じたことを書こうと思います。

 

 今回の話は、内容が非常に悲惨な話であるため、十分言葉を選んで書きますが、ご意見や感想、ご異論があれば一番下にあるコメント欄に書いてくださいますと幸いです。

 

 さて、本題に入りますが、指導死の現状と題して福井新聞が昨日取り上げていた記事になります。ここで私が非常に気になったところを抜粋したいと思います。いつものようにリンクも貼っておきますので、まずはご自身で全文をお読みいただけたらと思います。

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 2002年3月、兵庫県立高1年生、西尾健司さん(当時16歳)は、自宅近くのマンション屋上から身を投げた。校内のトイレで喫煙が見つかり、校長室で5人の教師から「特別指導」を受けてから9時間後のことだった。

 

 「君は親も教師も裏切った。人を裏切ることが一番悪いことや」「1年に2度も処分を受けるなんてわが校始まって以来の不祥事」

 

 同席を求められた母裕美さん(59)の前で、直立不動の健司さんを校長や学年主任らは厳しく叱責した。前年12月に続き2度目の特別指導。無期家庭謹慎を言い渡された。裕美さんが涙ぐむと、健司さんのすすり泣きが聞こえた。

 

 前年12月の特別指導は期末試験での出来事だった。級友に答案を見せたことがカンニングと認定され、7日間の家庭謹慎を受け、3学期が終わるまで反省日記を提出することが課された。

 

 健司さんは仲の良かった弟に冷たく当たったり、物思いにふけったりするようなことが多くなっていったという。

 

 1月の終わりごろから家でたばこを吸うようになった。学校で喫煙が見つかった直後の反省文には「ストレスがたまっていて、吸ったら、それが少し和らぐかと思った」と書き、その後、命を絶った。

 

 裕美さんは、自分の涙が息子を苦しめたのではと悔いる一方で、「軍隊のような高圧的な指導」は間違っていると話す。「子どもなんて、周りが勝手にしている期待を、裏切って裏切って成長していくもの」だと思うからだ。

出典; 生きる力奪われ…指導死の現状 平成に入って全国73件 (福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース

※記事の一部を省略しています。

  まず思うことは、試験中に不正行為を行い、ストレスの捌け口として弟に当たり、自らの弱さを煙草でさらに逃げ、多くの人を裏切り、何の反省もせず死を選び逃げ切ったことです。普通に考えて卑怯ではないかと、私は考えます。

 確かに「わが校始まって以来の不祥事」などといった生徒に全く関係のない事柄をこじつけて叱責することは疑問が生じます。学校および教職員の保身に走るだけでこれでは指導と言えません。学校の肩書を生徒へ全責任、押し付けるのは筋が違います。学校は学校、生徒は生徒。これはきっちり分ける必要があります。

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 しかし、母親の「子どもなんて、周りが勝手にしている期待を、裏切って裏切って成長していくもの」というのは、さすがに無責任ではないでしょうか。全て自分の犯した過ちから始まり、その責任を他者に擦り付け、最終的には自殺して逃げたわけですから、身勝手極まりない態度だと考えます。周りとしては多くの人を裏切ったと認識させたまでは良かったのですが、人に尽くせなどといった人と人との繋がりを大切にしなければならないという指導が足りなかったのではないでしょうか。 

 

 学校といった教育現場で行き過ぎた指導死は確かにあります。どう考えても体罰という言葉だけでは済まない、傷害事案だろうというのものも少なくありません。これはしっかりと処罰を求めなければなりません。また、手を挙げていないからと言って高圧的な態度で半ば脅しともとれる指導も指導とは言えないのではと考えます。

 しかし、全部が全部、学校などの教育現場が原因なのでしょうか。全ての責任が学校にあるのでしょうか。子ども教育する責任は本来、親にあります。学校がすべてやってくれる、そんな責任転嫁以前に自分の子どもをペット感覚で肩書だけの親が居る現実に、今回、私は非常に危機感を覚えました。(そして将来、自分が家庭を持った時に、自分の子どもは子どもでも、一人の人間として、接することができるのだろうか....)

 

 言い過ぎでしょうか。